人は見知らぬ人に助けを求められたとき、一瞬警戒心を持ってしまうのは当たり前なのだろうか。
先日、朝8時ごろ、私が仕事場に着いた時の出来事。
仕事場の真ん前に車を駐車した。車を降りた時、大型のトラックが私の背後を通り、10メートル弱の距離に急いだ様子で停まるのが見えた。
私が建物の中に入る数歩手前で、そのトラックから人が降りてどうやら私がいる方向に走ってくるような様子が視界で見えた。
何だか嫌な予感がした。心の中とは正反対に慌てた様子を見せずに、私はオフィスの中に入り、カギをかけた。カギをかけたのは、危険を感じたからではなく、オフィスが開く時間まで1時間近くあったから。
すると、ドアを閉めた数秒後に誰かがドアを叩く音が聞こえる。トントントンと3回急いだ様子で。
ドアの横の小窓から外を見ると、さっきのトラックから降りた人が立っている。ドアのノブをガチャガチャとひねって開けようとしています。
ドキッとしたので、開けるべきか、知らん顔しようか数秒迷いました。他の従業員はまだ誰も来ていない。正直言って、開けたくなかったのですが、その人が女性だったので、危険ではないだろうと思った。とりあえず何の用か聞いてみることにした。ドアを開けると、その女性は「おトイレを貸してもらえますか?」と慌てた様子。
ダメと言えず、「いいですよ」と言って中に入れてあげた。
その人は、数分後、トイレから出て「どうもありがとう。私が外に出たらドアに鍵をかけてください。」と言って出て行った。
この女性は、本当にトイレを借りたかっただけ。
彼女が駐車したすぐ反対側には、商店があるのに、お店に行かないで私に助けを求めたのは、私が自分と同じ女性だったから頼みやすかったのだろうか。それともまだお店が開いていなかったのだろうか。わからない。
何事もなかったけれど、あの時ドアを開けるべきではなかったのではないかと、後になって何度も考えた。運よく、何も起きなかったけども、あの女性が悪い人だったら、何か悪いことが起きてしまったかもしれない。
次の話は、数か月前にあった別の出来事。
私の車のガスタンクのキャップが壊れたか失くしたかの理由で、新しくキャップを購入したのですが、それが私の車種専用の物ではなかったようで、キャップを外そうとすると固くてなかなか外れない。そんなわけでガソリンを入れる時に見知らぬ人の手を借りなければならなかった。そんなことが3回あった。
アメリカでは、ガソリンを入れている人に「すみません」と声をかけるのは、一般的にホームレスで、お金か何かが欲しいからの確立が高い。隣のポンプでガソリンを入れている人と
たまたま目が合って、「いい天気ですね。」なんて風にたわいもない事を言ったり、たまたまカウボーイズの試合がある日にカウボーイズのTシャツを着ている人が隣のポンプにいたら、「今日の試合勝つといいね」なんて言ってちょっと言葉を交わすなんてことはフレンドリーなテキサスではありがちなこと。でも、「すみません」と言われたら、誰でも一瞬何だろう?と警戒してしまうのは普通のことかもしれない。
それをわかっているからこそ、一番初めの時、ガソリンスタンドで助けを求めたら怪しまれるかもしれないと少し不安だった。
でも、昼間だし私の手にはお財布しかない。それに、自分がアジア人だということもあってきっと怪しまれない確率の方が高いのではないかとも思った。勇気を出して、「すみません」と一声を出してみた。
この時に声をかけた人は、40代くらいの白人の男性。「ガスキャップが固くて外せないのですが手伝ってもらえませんか。」と言うと、想像していた通り、この男性は
驚いたような顔を一瞬見せた。それは、突然声をかけられたからなのか、私がお金をくださいとでも言うのかと思ったからなのだろうか。わからない。
でも、”ガスキャップが固くて外せない”と予想外れの事を私が言うので、なんだそんなことか、と思うのか「どれどれ見せて」と言ってキャップに手をかけてくれた。
2回目。夕方、別のガソリンスタンドで。やっぱりキャップが固くて外れない。この時は、どうにか自分で取ろうと頑張ってみた。
手の平が痛くなるほどキャップをひねってみた。すると、少し離れたポンプにいた20代の白人男性が四苦八苦している私に気が付いて、「手伝おうか?」と声をかけてくれた。
嬉しかった。自分から助けを求めるよりも、誰かに助けが必要なんだと気が付いてもらった時の方がこんなに簡単なんだなと感じた。
3回目。朝8時ごろ。沢山の人が出入りするセブンイレブンのガソリンスタンドで。急いでいて、誰かに助けが要ることを気付いてもらうのを待っている時間がなかったので、すぐ隣のポンプにいた男性に助けを求めた。
この40代のインド人男性は、すぐに私の車の方に様子を見に来たのだけど、一瞬何かを思い出したかの様な顔をして、「ちょっと待って」と言って自分の車に戻った。
車に鍵を掛けに行ったのです。私が怪しそうな人物に見えたのだろうか。実は私は悪いパートナーと一緒で、私を助けている隙にその悪いパートナーが
この良心的な男性の車に入り込み、物を盗む、又は車を盗むとでも思ったのだろうか。こんなに人が沢山いる場所で、車を盗もうなんて試みる人がいるわけないじゃないかと思った。いずれにしろ、この男性もキャップを外してくれた。
ガソリンを入れる度にこんな事をしてられないので、この後ガスキャップを私の車専用の物に変えました。
次の話はかなり前にあった事。
当時のルームメートの一人が話してくれた出来事。車のバッテリーがあがってしまっていてエンジンがかからない。4人と一緒にアパートを共有していたのだが、
その時、彼女以外は留守だった。仕方がなく、アパートの前を走る車に助けを求めた。誰かにバッテリーを繋げてもらいたかったから声をかけたのだ。すると、車の人は「警察を呼んで助けてもらいなさいよ」と言うだけで助けようとしなかったらしい。それが半年前に韓国から来たばかりの彼女には理解できないことだった。韓国で同じことがあったら、必ず助けてくれたはずと言う。でも、アメリカ人のルームメート2人は、そんなのアメリカでは当たり前。自分の車から降りて知らない貴方を助けるなんてしない。それに、知らない人を自分の車に乗せるなんてことはしない。危険すぎる。と言った。この話を聞きながら、日本ではどうだろうと私は考えたのを覚えている。
その夏、私は日が暮れる30分前になると外に出て近所を歩くのを日課にしていた。テキサスではまだ日が暮れていない夜の8時半ごろに、エクササイズの為に歩いていると、40代の女性が車のスピードを落として私に「車に乗せてあげましょうか?」と親切に言った。きっと、私を車がない人だと思ったのだろう。確かに、ダラス地域では、外を歩いている人は少ない。外を歩いている人は車がない、又は車が道端に故障してしまって仕方なく歩いているかのどちらか。犬を連れていれば明らかに犬の散歩をしていると分かる。
私は短パンにTシャツ、それにスニーカーという恰好で早歩きをしていたので、エクササイズしてると見えただろうが、この女性には、”こんなに暑い日に家まで歩いているかわいそうな女の子”と見えたようだ。私は、「大丈夫です」と言ったて断ったけれど、そんな風に親切に声をかけてくれる人もいるんだな、と少し驚いた。私の韓国人ルームメートは、知らない人に助けを求めて断られたのに。
でも、アメリカ人のルームメートは私があの時、車に乗らなくて良かったと言った。もしかして親切そうに見えたあの女性は、本当は悪い人で私を誘拐しようとしていたのかもしれない。考え過ぎかもしれないけれど、何を信じたらよいかわからないと思った。
そして、その夏、何度か私の車がオーバーヒートして道端で停止してしまった。どうしたら良いか分からず途方に暮れている私を見知らぬ人が止まって助けてくれた。そんなことが2回あった。こんな風に親切な人もいた。
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