日本に帰省中で、時差ぼけで夜中に目を覚ましてしまったので、ヤフージャパンのニュースの見出しに目を通していると、「平愛梨、新幹線異動で「人の温かさにジーンとした」エピソードを告白、4歳、2歳、1歳の息子連れ」という見出しに目が留まった。その話を読んでみた。自分一人で幼い息子3人を連れて地方へ向かう旅で、新幹線に乗るため急いでいるのに子供二人がエスカレーターの前でベビーカーから降りようとしない。平愛梨は抱っこ紐に赤ちゃんを抱えているし荷物を持っていて手が一杯、急がないと新幹線に乗り遅れてしまうと焦っている。似たような経験をしたことがある人は多いはず。近くにいた若い男性が3人に助けを求めると、その男性たちはこころよく手を貸してくれた。子供たちをエスカレーターの上まで連れて行ってくれた上、ついでにベビーカーも上まで運んでくれた。この見知らぬ人たちの親切と優しさに感動した平愛梨さんがこの経験をインスタグラムに子供3人と一緒に映った写真を添えて共用した。この話をヤフーが記事として取り上げた。
アメリカでも、見知らぬ人の親切な行為が心温まる話としてネットで取り上げられることがよくあります。読む人がそういった「心温まる話」が好きだから。検索すると、こういった話が特集になった記事も多くあります。私自身も、心温まる話が好きなので、そういった話をネットで見かけると読みます。この私のサイトにも、そういった話を載せたこともあります。ただ、見知らぬ人の突然の親切な行為に心が温まったという話でも、アメリカだったら、まさにこういった平愛梨が経験したエピソードはニュースにはならないだろうと思う。その理由は、見知らぬ人にちょっと手を貸してあげるというのはアメリカではごく普通の事でよくある事だから。でも、日本では違うのは理解できる。私の娘が幼かった頃、日本に帰省中、公共の場では緊張した。親切にしてくれる人はほぼいなかった。混んでる電車の中、抱っこ紐に娘を入れていた私は、電車が揺れるたびに横転しないように両足を踏ん張って立っていると、そばに座っていたスーツ姿の30代の男性と目が合った。自分の席を譲ってくれると手で合図をしてくれた。初めての事だった。嬉しくて涙が出そうになったけれど、娘は私が座ると両足とバタバタさせるので両側の人にぶつかってしまうので立ってる方がいいんですと説明した。
アメリカで親切話がニュースとして取り上げられるとしたら、人がなかなかやらなそうな話。例えば、こういった話。一つは、ある女性がスーパーで買い物中、予算よりも20ドルくらいオーバーしてしまったので、じゃあこれは要らないと買った物を続々とキャンセルしてもらおうとしていると、後ろに並んでいたスーツ姿の男性客が、僕がそのオーバーした金額を払いますと言ってクレジットカードをレジの人に渡した。この女性は、それは受け取れませんと断ると、男性がこんな話をしてくれたそうです。自分の母親が癌のため入試ていて、毎週お見舞いに行くたびに花束を持って行っていたんだけど、母親はお金の無駄だからお花はもう買ってくれなくていい。そんなお金があるのなら、そのお金を困っている人に使ってあげなさい。と言ったんだ。「だからこれは母の花束代なんだよ」と男性。でも、実は、こういった事は、それほどまれでもない。Pay it forwardという言葉は日本語にはないけれど、意味としては、親切をしてくれた人にお礼をする代わりに、その親切を全然関係ない人にまわすということ。
上の平愛梨さんの話で驚くのは、ヤフーのコメントには、幼い子供と外出するのがどれだけ大変かよくわかると同情するコメントもあれば、見知らぬ人に助けを求めたのは素晴らしいと褒める人もいる。反対に、この男性たちに迷惑をかけたとか、4歳にもなってまだベビーカーに乗せるのかなどのコメントもある。誰かが「なんで、ひねくれる?」とネガティブなコメントにコメントしたように、確かに、”ひねくれ”たコメントだ。この話のポイントは、心よく手を貸してくれた親切な男性たちの優しさ、こんな世の中だけど親切な人はいるって話のはず。人の親切に心が温まるという話のはずなのに。
アメリカでは、買い物中にお金が足りなくてレジで困っていると、知らない人が払くれたという話は他にもあり、特に有名なのは、カントリーシンガーのキースアーバンが小さな町のお店で、買ったお菓子の精算で、予算オーバーしてしまいお金が少し足りない、一緒にいた女性に~ドルある?と聞いていると、突然、後ろに並んでいた女性が「私が代わりに払います!」と言って払ったという親切な女性。この話が話題になった理由は、見知らぬ人の代わりにお金を払った女性の親切な行為だけでなく、有名ですごく売れている歌手が、たかが少しのスナックの値段を払うお金を持っていなかったけど、彼に比べて収入が少ないだろう学校の先生を職業にする一般の女性が代わりに支払ったということ。この逆ならありそうな話だけど、お金を沢山持っている人が決して裕福ではない人にお金を払ってもらって事が面白い。この話のポイントは、目の前にいる困っている人を助けた女性の親切な行為であって、十分な現金を持ち歩いていなかった歌手がどうおのって話ではない。なので、誰も、お金を沢山持っているはずの人が何で十分なお金を持って外出しなかったんだとか、だらしないとか、そんな風には考えない。そんなコメントは一つもない。
他には、幼い子供を連れてスーパーで買い物の最中に、子供が泣きわめいて母親は何をやって子供が泣き止まないので途方に暮れていると、そばで買い物をしていた女性が私が貴方の子供を抱っこしてあげるからその間に買い物をしていいわよと言って、スーパーの中を一緒に回ってくれたという話も話題になった。
「人に手を借りること」は人に迷惑をかけることではない
アメリカでは、気分良く毎日を過ごせるために自分で出来る事の一つとして、”人に親切にする”がある。人に親切にすれば、その人が喜ぶだけでなく、その人に感謝され良い事をしたなと思うと自分も嬉しくなるから。また、人に親切にするというのは、家庭でも学校でも子供に教えることであるから、ドアを開けてあげるとか、道を譲るとか、重い物を運ぶのに手を貸してあげるとか自然に行動に出るのだろう。久しぶりに日本に帰省した後、アメリカに戻るとすぐにアメリカ人の親切を経験した。アメリカの空港のバゲージクレームで、自分の重いスーツケースを拾おうとすると背後から「僕が取ってあげますよ」と若いアメリカ人の男性が私の前に立ってささっとスーツケースを下ろしてくれた。もっとある?と聞くので、「もう一つある」と言うと、じゃあこの辺にいるから声かけてよ。と言ってくれた。アメリカに戻ってきたんだと実感する瞬間だった。普段、私は人の人の手をちょっと借りる事がよくある。例えば、スーパーで手の届かない所にある品物を取りたい時は、近くにいる人に声をかける。誰もが喜んで手を貸してくれる。同様に、人に手を貸すことに抵抗はないし、困っている人がいれば何か出来ることはないか声をかける。
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